西村俊一
Uターン
2007年入社

大手上場企業からUターン入社後、
チャレンジの連続

トクセン工業
技術開発部技術開発G GL
西村 俊一

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グラフ

2002年 23歳

未熟な心構え

大学在学中から、あまりアルバイトをたくさん経験していたわけでもなく、就職に対する意識もかなり低かったです。
周りはみんな進学だったので、独りで就職活動してました。
当時の理系でよくある研究室推薦のようなルートで決めるという選択肢はしたくなく、やってみたい仕事をゼロから探していました。
大手狙いの手あたり次第、という活動でした。
自己分析もせず、採用選考対策も特にせず、完全に“素”の自分で挑んでいました。
氷河期と言われる時代でしたが大手2社から内定をいただき、職種も全然違う中、技術系で内定をいただいた会社に進むことを決意いたしました。

得たもの
(特になし)

2002年 23歳

新社会人の陽と陰

大手上場企業に入社。希望に満ちた70名程度の同期たちが、眩しく感じたことを覚えています。
最初は会社の配慮もあって、地元に近い関西に配属。
しかし同期は1人もいませんでした。
職場は上場企業のイメージとはほど遠い3Kの職場ではあったものの、良き先輩に囲まれて過ごしました。
しかしパワハラ上司が異動してきたことで、かなり精神的にしんどかったです。
それでも私の中で古い考え方ですが、「辞める」という選択肢は、よぎることはありませんでした。石の上にも三年だと。
何より仕事を通じて言ってもらえる「ありがとう」や、その他の周りの先輩方がめちゃめちゃ優しかったので、それに報いたい一心でした。

得たもの
『どんな仕事も社会に貢献』という感性、忍耐、感謝

2006年 27歳

らしくない選択

横浜への異動も経験し、新天地でもそれなりの日々を送ってました。
技術の仕事は顧客のみならず、社内の様々な困りごとに対応する仕事だったので、先輩から聞いた「業者以外はお客様」は、今も根っこに刺さっています。
とはいえ業務はやはり3Kで、あるとき心身の疲労も重なり、1ヶ月程度の療養期間も経験しました。
加えて家庭の事情もあり、やむなく転職を考えるようになりました。
当初から入社したら定年までの気持ちだったので、自分の中では“らしくない”決断だったとつくづく思います。
関東で仕事をしつつ、関西での再就職先を探すことは、とても苦労しました。
そんな環境でなんとかトクセン工業にご縁を頂くことが出来ました。

得たもの
『業者以外お客様』という感性、チャレンジ

2007年 28歳

やりがいは突然に

技術職での採用と思いきや配属は「知財担当です」と。
全くやったことないし、特許って何?の世界です。
とはいえやってみると、これがめちゃめちゃ面白い。奥が深い。加えて専門スキルもつく。 少人数で回しているので責任感と“頼られ感”もヒシヒシと伝わり、とてもやりがいを感じました。
特許になる発明を見出すための発想法は、様々な視点で物事を捉えるという思考の柔軟性にも寄与し続けています。
事前に全社の実習ツアーを10ヶ月させてもらったことも、後の業務を行う上で、いろんな方に聞いて回ることができ、スムーズに業務に入ることができました。

得たもの
『様々な視点で考える』という感性、専門スキル

2010年 31歳

天国から地獄

漸く異動となりトクセン工業で技術者として歩み始めました。
異動後の部署は時間の進み方が異常に早く、日に何件ものトラブルを処理し、夕方前からようやく自分の仕事を始める、みたいな状態でした。
前任者も早々にいなくなり、まともに聞ける人もおらず、ひたすら“こなす”だけの日々で、本質の問題に向き合うことができずにいました。
そんな中でも自分だけ良ければよい、という進め方ではなく、周りがスムーズに流れるように全体として最適な選択を意識していました。
そんな姿勢を現場の方はよく見ていますので、結果として信頼を築いていくことができました。

得たもの
『全体最適』という感性、信頼関係

2015年 36歳

異文化に触れる

プロジェクト的な部署を経て、次の異動先は関係会社のジャパンファインスチールへの出向でした。
全くの予想外で、家族会議までしましたが、いろんな想いを呑み込んで、出向先で頑張ることにしました。
右も左もわからず、やったことのない業務で最初は苦労しました。
これまた非常に優しい方々(今思うと、どの環境でも比較的恵まれていました)で、非常にフラットな組織で何でも言えるし、部署間の依頼もスムーズにできる。
そんな体制に新鮮味を感じました。
何でもやってみようという姿勢、人の困りごとに手を差し伸べ、一緒にやっていこうという姿勢を強く目の当たりにし、改めて人と仕事をするうえでの大切さを学びました。

得たもの
『自他共栄』という感性、ハングリー精神

2019年 40歳

指名と解任

2年間、外の空気を吸った後、トクセン工業に戻ってきました。
4年ぶりの技術者としての仕事、そしてまた新しい製品の担当。
40才手前でしたが新入社員並みの基礎からの勉強。
自分なりに適応し、必死に新しいことの修得を目指していました。
その中で事業計画を立てる、というテーマも与えられ、単純に技術開発に取り組むだけでなく、広い視野で捉える機会もありました。
そんな折、2019年にリーダーへ昇格の辞令。
いやいや係長クラスの経験もなし、そもそもマネジメントに関わったことないし、何故自分が選ばれたのか理解できないまま、リーダー職に向き合おうとした半年後に、GL公募制で、リーダー職が一旦白紙になる急展開でした。

得たもの
『事業とマネジメントの現実』という感性、プロジェクト推進

2020年 41歳

異業種に触れる

リーダーの公募制を経て、立候補した先ではない人事関連の部署でリーダーとして再出発することになりました。
私だけでなく周りの方全員が困惑する抜擢でした。
主に新人事制度や人材管理の手法、研修制度について検討を行っていました。
あまりに畑違いで戸惑いの域を超えましたね。
会社の中の課題感を目の当たりにする中で、全くの新しい企画・提案を出し、自ら実行するという仕事をこれまでできていなかったなぁ、と気づくことができました。
また、最後に、社員のモチベーションアップを図るため、アフターファイブのサークル活動を企画した際に、多くの社員が参加してくれたことは非常に感動しました。

得たもの
『将来をシミュレーションしてみる』という感性、評価と育成

2023年 44歳

目指すは麦わらの一味?!

これまで数多くの部署異動、そして全て違う職種という経験は、必ずしも前向きに捉えられていたわけではありませんでした。
もともと1つのところでじっくり働きたいという考えの私にとって、部署異動のたびに苦しみを感じました。
しかし、もちろんマイナスな面だけではありません。
その経験が様々な視点を養い、様々なケースにおけるものの考え方を意識するようになりました。
“私にできないことをできる人”たちに、いろいろ頼りながら、一方で自分自身も人から頼られる人になれれば、皆で力を合わせて、きっとより良い会社になると考えています。
この先のグラフがプラスに転じる未来に向かっていきたいと思います。

得たもの
『“個”をめいいっぱい出せる環境』という感性、リーダーシップ

先輩社員に質問

トクセン工業に入った理由
Uターン前提の再就職を考える中で、非常にニッチな市場で存在感を発揮している製品を扱っていることを知り、「近くにええ会社あるやん!」と思ったからです。
一度内定をいただきましたが、前職の都合ですぐに転職できない状況となり、一度お断りしました。
それから約半年後、就活を再開しようとした矢先、当時の人事担当の方から改めてご連絡をいただいたんです。
これって運命?!と思い、入社を決めました。
入社して衝撃的だった事は?
上場している大企業からの転職なので、ナメていました。
しかし、入社するととんでもない!めちゃめちゃすごい人多い!と感じました。
「プロ集団やな~」と打ちのめされました。
今後こうなっていきたい理想は?
半年前に異動があり、新しい環境でまだまだ知識が追い付かず、日々勉強です。
今までも異動が多かった分、専門知識が極めて少ない一方で、メンバーは技術や開発に対して、芯やプライドを持っています。
能力あるメンバーが気持ちよく、最大のアウトプットを出せる環境をつくりたい、と今は強く思っています。
わからないことは徹底的に助けてもらうそしてメンバーがやってほしい事を真摯に受け止め、信頼を深め合い、良い職場環境を構築していきたいと考えています。

ここまで見てくださった
求職者の方へ...

就社意識が高かった昭和世代。
会社は“法人”と言われるように、人のように『性格』があります。
“入社してからでないとわからないこと”もあります。
始めは違和感があることもあるかもしれませんが、粘り強く付き合えば、馴染んでいくこともあるのではないでしょうか。
大事にして欲しいのは、自分の成長を感じる環境に身を置いてほしい。
仕事でいろんな経験を積んで、いい感じに自分磨きしていくことが、これからの世の中を生き抜くためには必要かなって思います。

金井重要工業はあなたのキャリアを応援します
まずは一度気軽に相談してみてください

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