- 第二新卒
- 2006年入社
無職から、
何でも屋のリーダーに!
- 金井重要工業
- 管理部総務G GL
- 藤宮 秀明
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2005年 22歳
一瞬無職
4年生の時に、少しだけ就活しましたが、面談した企業の若いリクルーターに、「仕事は楽しいですか」と聞いたところ、「何も楽しくない」と回答されてしまい、
こんな人になりたくない!定年まで働けない!と、就職意欲が削がれたことをきっかけに就活をやめて、学業の延長で会計士になる勉強を進めることにしました。
しかし、少しして両親から仕送りを止めると言われてしまい就職することを再度決意。
ハローワークで相談したところ、卒業論文で繊維に関することを取り上げていたことから繊維機器を製造している金井重要工業を紹介され、そのまま面接を受けることにしました。
- 得たもの
- 金井重要工業との運命的な出会い
2006年 22歳
名言が飛び出す
就職先が決まり、伊丹工場での勤務が始まりました。
当時の面接は本社の北新地だった為、伊丹工場初日は工場があまりにも古く、昭和初期を感じる雰囲気に驚き、テンションが下がった記憶があります。
ナマケモノな性格で、より良い方法で楽に仕事することを考えることが好きだったため、仕事のやり方を自分なりに変更したときには先輩に「横着するな」と怒られたことがありました。
その時に「横着と工夫は紙一重です!」と言えたのは入社1年目の若さがあったからですね。
「より良い方法で仕事をする」という考え方は今もずっと持っています。
- 得たもの
- 創意工夫する力
2009年 25歳
異文化に触れる
私には自分のスキルを高めたい、知識や技術を身につけたい、という意思がずっと根底にあります。
このスキル思考は、自分に身に付いたスキルで仕事を得て生きて行けるようという思いからきています。
今思うと、一度無職を経験したことによる反動かもしれません。
営業の仕事では英語が勉強できると思い、営業グループへの異動は前向きなものでした。
3年目で海外出張を任せていただき、インド、バングラデシュ、中国、台湾、タイ、ベトナムと行かせてもらいました。
景気も悪くない時期だったため、ノルマの苦しさもありませんでした。
- 得たもの
- 新しい体験
2011年 27歳
タイの大洪水
2011年には担当していたタイの国で大洪水が発生し、お客さんの工場も水浸し。
当社製品も使用不能になる状況が発生しました。
国中が大混乱の中、早期復旧を目指すお客さんの為に工場と交渉して最短納入スケジュールを調整。
その調整した翌日にもっと急ぎのお客さんが判明し再度スケジュールをひっくり返し。
あるお客さんでは製品が錆びて使えない為に工場で大至急生産した後に、錆が落とせたからキャンセルしたいと言われて大ショック!後日転売できて良かったですが混乱時の対応の難しさを学びました。
- 得たもの
- トラブル対応力
2018年 34歳
アドバイスのままに…
グループリーダー(課長)の公募選挙があり、手を挙げるつもりは全くなかったものの、尊敬する先輩に、「顔と名前を覚えてもらうために行ってこい」と言われ、言われるがまま、立候補しました。
当時は役職もついていない一般社員で、リーダーとしてやっていく意欲やマネジメントの実績が豊富にあったわけではなかったため、本当に顔と名前を覚えてもらうだけのつもりでいました。
本社での面接後、上司と安い居酒屋の串カツをつまんで反省会をしている時に、「合格だってさ」と言われてびっくり。
全く想定していなかったので困惑したことが、6年以上前ですが昨日の事のように覚えています。
- 得たもの
- 驚き
2018年 34歳
業務グループへの異動
営業担当者から、別部署である業務グループのリーダーをやることになったのですが、そもそも受かるとは思っていなかったため何の準備もしておらず、短期間で怒涛の引継ぎを行うことになりました。
業務グループは入社して1年半だけ所属していたのですが、グループリーダーの仕事は全く異なった為、わからない仕事が多かったことが当時は辛かったです。
引継ぎの難しさや大変さを痛感し、課題として意識するようになりました。
- 得たもの
- 役職
たくさんの業務課題
2020年 36歳
台風、コンピュータートラブル、コロナ…
業務グループのことを、私は「なんでも屋」と表現したりします。
リーダー初年度には、非常に大きな台風が直撃し、食堂前のお稲荷さんが崩壊してしまいました。
これは誰がどうやって直すのか…というところで、なんでも屋の出番となりました。
翌年にはコンピュータートラブルで破損した社内のデータ復旧、コンピューター休止中の生産体制の対応を構築。
そして2020年からはコロナの対応に迫られました。
自分のモチベーションはどうか、スキルがどうこうという場合ではない場面がいくつもありました。
- 得たもの
- 責任感
2024年 40歳
日々勉強
リーダーは「管理する仕事」というポジションを与えられただけで、自分が正しいからリーダーになったわけではないということを意識していて、
自分が正しいと思うことは言うけど、それが絶対に正解とは限らないし、部下から別の意見が出てきたら納得できるまで理由を聞くなど、しっかり擦り合わせを行うようにしています。
リーダーになって色んなことを知って、やれることも増えて、今はリーダーに立候補して良かったと思っていて、やりがいを感じています。
勉強することはまだまだたくさんあって、日々勉強です。
- 得たもの
- 理解のある部下たち
やりがい
先輩社員に質問
- 金井重要工業に入った理由
- 会計士を目指して勉強しようと思い、就職せずに卒業したものの、卒業後にやはり就職を目指す事にしました。
ハローワークでたった1社だけ紹介されたのが金井重要工業という偶然の出会い。
会社説明会にも出席せず、企業研究もおこなってこなかったため、他の会社と比較して強く惹かれる点があったわけではありませんでした。
面接していただくと、面接官が同じ大学の出身で話がはずむというラッキーな展開もあり、非常に雰囲気もよく、偶然や幸運に恵まれるがまま入社を決意しました。
- 入社して衝撃的だった事は?
- 入社3年目で初めて訪れた初の海外出張(インド)です。
車移動で渋滞に巻き込まれ、原因は路上に寝ていた牛・・
クラクションで起こす...なんてとんでもない!そうで、迂回するとか。
そんなインドですが、繊維産業が盛んで、世界2位の市場を持っています。
金井重要工業の製品は、他社のインド製品より値段が3倍ぐらいしたのですが、それでも製品の品質を見て使ってくれていることを嬉しく思いました。
と同時に、インドのド田舎にまで販路を切り開いている金井重要工業に対して、ひょっとしてすごい会社なのではないか?
ここで販路の開拓や語学を通じて自分も成長できるのではないか?と感じ始めたのもこの頃でした。
- 今後こうなっていきたい理想は?
- 今は本社で勤怠、人事、採用、広報などを束ねる総務グループのリーダーをしています。
何でも屋ですね。
自身も職場のメンバーも、日々成長を目指すことを、続けていきたいです。
どんなに小さくても良いので、新しい知識、新しい経験、新しい方法を得る努力をして欲しい。
又、お互いの人が休んでもサポートし合える体制を一層強化していきたいです。
突発の休みだけでなく、数年で定年を迎えるようなベテランの仕事についても確実に技術や知識を継承していかないといけないと思っています。
これは自分の部署のことだけではなく、他の部署や、会社全体もそうあって欲しいと思います。
今後、日本全体でも労働人口が減っていくという意味で、若い世代1人が上の世代2~3人分働く必要に迫られてきます。
ただの根性では無理なので、「仕事を効率化する・減らす」「残った仕事もRPA等を活用して極力自動化する」「それでも残った仕事は簡単に引き継げるように知識ノウハウを共有する」という順に進めることで、たくさんの仕事を楽にこなせるよう工夫していこうと思います。
ここまで見てくださった
求職者の方へ...
自分がろくでもない学生をしていたから、あまり偉そうなことは言えないですね…。
間違いなく言えるのは、大学卒業時の無職が一番きつかったので、無職だけはやめといたほうがいいよ、と。仕事しましょう。
私も仕事が楽しい時も楽しくない時もあります。
結局、どこの会社に行くかよりも、そこで何をするのか、が、大事なように思います。
金井重要工業は歴史のある会社で、保守的なように思っていましたが、やりたいことと理由を筋道立てて説明出来ればやらせてくれます。
この会社が合うか合わないかは自分次第と思います。一緒に頑張っていけたらと思います!